2010年03月27日

ON THIS DAY I COMPLETE MY THIRTY-SIXTH YEAR

ON THIS DAY I COMPLETE MY THIRTY-SIXTH YEAR.

1.
'T is time this heart should be unmoved,
Since others it hath ceased to move:
Yet, though I cannot be beloved,
Still let me love!

2.
My days are in the yellow leaf;
The flowers and fruits of Love are gone;
The worm, the canker, and the grief
Are mine alone!

3.
The fire that on my bosom preys
Is lone as some Volcanic isle;
No torch is kindled at its blaze―
A funeral pile.

4.
The hope, the fear, the jealous care,
The exalted portion of the pain
And power of love, I cannot share,
But wear the chain.

5.
But 't is not thus―and 't is not here―
Such thoughts should shake my soul, nor now
Where Glory decks the hero's bier,
Or binds his brow.

6.
The Sword, the Banner, and the Field,
Glory and Greece, around me see!
The Spartan, borne upon his shield,
Was not more free.

7.
Awake! (not Greece―she is awake!)
Awake, my spirit! Think through whom
Thy life-blood tracks its parent lake,
And then strike home!

8.
Tread those reviving passions down,
Unworthy manhood!―unto thee
Indifferent should the smile or frown
Of Beauty be.

9.
If thou regret'st thy youth, why live?
The land of honourable death
Is here:―up to the Field, and give
Away thy breath!

10.
Seek out―less often sought than found―
A soldier's grave, for thee the best;
Then look around, and choose thy ground,
And take thy Rest.

Missolonghi, Jan. 22, 1824.
[First published, Morning Chronicle, October 29, 1824.]


出典:
The Works of Lord Byron, Vol. 7. by Baron George Gordon Byron Byron - Project Gutenberg



バイロンが自身最後の誕生日に詠んだ詩。

兵士の墓の最も汝に善きものを求め出せ。
發見せらるゝよりも求め出だすは甚だ稀なり。
周圍を回顧して汝の地を撰び、
而して汝休みに就け(『バイロン文界の大魔王』より木村鷹太郎訳)
⇒10連目 "Seek out―less ..."
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2010年03月26日

バイロン文界の大魔王 バイロン年譜

バイロン年譜

一七八八年。一月二十二日倫敦ホルレス町に生る

一七九〇―一七九一年。母と共にアバーヂーンに住す。

一七九二―一七九五年。アバーヂーン小学校に入る。

一七九六―一七九七年。ハイランドに移住す。メリーダッフ嬢を恋ふ。

一七九八年。貴族の爵を継ぐ。ニューステッドに移る。

一七九九年。作詩の萌芽。ロンドンに移る。ダルウィッチのグレンニー氏の生徒となる

一八〇〇―一八〇四年。マーガレット、パーカー嬢を恋ふ。詩を作る。ハーロウ小学校に送らる。チヨーヲース嬢を恋ふ。

一八〇五年。ケンブリッヂ大学に入る。

一八〇六年。詩集を印刷す。後之を焼き棄つ。

一八〇七年。『閑散漫詩』を出版す。ヲーズヲースの詩を批評す。

一八〇八年。『閑散漫詩』に対する諸評。印度旅行を準備す。『英国詩人及びスコットランド批評家』を出版せんとす。

一八〇九年。ニューステッドに有名なる人となる年齢に達す。貴族院に入る。此時彼殆ど友なし。英国出立を決心す。チャイルド、ハロルドの旅行を為す(リスボン、セウィール、カヂス、ジブラルター、マルタ、プレエサ、チッツァ、テバレーン等に到る)アラ、パシヤに面会す。アルバニアに在りし時『チヤイルド、ハロルド』を書き初む。アリチウム、エコポリス等に到る。トルコ軍艦にて難船して殆ど死せんとせり。アカルナニア及びエトリアよりモレアに至る。ミソロンギに達す。パトラス、ヴォスチョツア、パルナッソス山、デルヒ、レパント、テペス、シテロン山を見物す。クリスマス祭日アテーナイに達す。

一八一〇年。アテーナイの諸古跡を歴遊するに十日を費やす。スミルナに到る。エペソに至る。スミルナにて『チヤイルド、ハロルド』第二齣を書き終る。四月スミルナよりコンスタンチノープルに至る。トロアッドに至る。セストスよりアビドスに泳ぎ渡る。五月コンスタンチノープルに至る。六月ボスポルスより黒海に至る。七月コリンスに至る。八九月モレアに至り、アテーナイに帰る。

一八一一年。『ホーレス評訳』『ミネルヴァの咀ひ』を書く、英国に帰る。書肆マーレーを知る。母死す『チルザ』成る。トーマス、ムーアと交を初む。

一八一二年。二月二十七日初めて貴族院にて演説す。二月二十九日『チャイルド、ハロルド』第一第二齣を出版す。此書の版権をダラス氏に與ふ。『英国の詩人スコツトランドの批評家』は第五版に達せしも絶版に決心す。摂政に面会す。

一八一三年。『ワルツ』無名にて出づ。五月『不信者』を出版す。レー、ハントを知る(ムーアの紹介)。東洋旅行を準備す。アビシニア旅行を企つ。十二月『アビドスの新婦』を出版す。ミルバンク嬢に結婚を申込みて否まる。

一八一四年。一月『海賊』を出版す。四月『ナポレオンボナパルト沒落の詩』を書く。五月『ラゝ』を出版す。再びミルバンク嬢に申込みて承諾を得。十二月『ヒブリユー国風』出づ。

一八一五年。一月ミルバンク嬢に婚す。四月スコットを知る。財政大困難に迫る。七月『コリンス攻城』出づ。九月『パリシナ』を書く。

一八一六年。一月バイロン夫人離縁を決心す。三月『告別』『スケツチ』を書く。五月英国を出立す。ブルッセル及びワートルローを過ぎ、ヂオダッチに寓す。六月二十七日『チャイルド、ハロルド』第三齣を書き終る。六月二十八日『シヨンの囚人』を書く。七月『シエリダンの死』『夢』『暗黒』『オゝガスタに與ふる書』『チヤーチルの墓』『プロメテオス』『レーマン湖』『マンフレツド』の一部等を書く。九月ベルンのアルプスに旅行す。シエレーと交際す、十月イタリアに至る。マルチニー、シンプロン、ミラノ、ヴェロナを過ぎ、十一月ヴェネチアに住す。マリアンナ、セガチ事件。

一八一七年。二月『マンフレツド』を書き終る。四月フエラゝに至り、『タツソの悲哀』を書く。ローマに短時日の旅行を為す。ローマにて『マンフレツド』の第三齣の新なるものを書く。七月ヴェネチアにて『チャイルド、ハロルド』第四齣を書く。十月『ベッポ』を書く。

一八一八年。マルガリツタ、コグニ事件。七月『ヴェネチアの詩』を書く。十一月『マゼッパ』及び『ドン、フアン』第一齣を書く。

一八一九年。一月『ドン、フアン』第二齣を終る。四月ギッチョリ夫人と交際を始む。六月『ポー河短詩』、十二月『ドン、フアン』第三、第四齣を書く。ラヴェンナに移る。

一八二〇年。一月ギッチョリ夫人と同居す。二月『モルガンテ、マッジョーレ』を訳す。三月『ダーンテの預言』を書く。『リミニのフランセスカ』を訳す。四月より七月の間に『マリーノ、フアリエロ』を書く。十一月『ドン、フアン』第五齣を書き終る。

一八二一年。五月『サルダナパルス』を書く。七月『二人のフォスカリ』。九月『カイン』十月『天地』『審判の幻像』を書く。ピサに移る。

一八二二年。一月『エルネル』。七月『ドン、フアン』第六、第七、第八齣を書く。『醜人の美化』を書く。私生女アレグラ死す。九月ゼノアに移る。

一八二三年。一月『真鍮時代』、二月『ドン、フアン』の続きを書く。三月『征伐』なる叙事詩を書き始む。四月眼をグレシアに転ず。ロンドン、グレシア義会より委托を受く。五月グレシアに行くことを申出づ。金銭等必要品を此目的の爲めに捧ぐ。六月十四日グレシアに向けて出帆す。ケファロニアにてグレシア軍艦の来るを待つ。グレシア政府に書を與ふ。

一八二四年。一月五日ミソロンギの着す。『余が三十六年』を書く。レパントを襲撃せんと計画す。遠征軍の惣督に任ぜらる。スリオート人の擾乱。最後の疾病。

一八二四年。四月十八日午後六時死。

バイロン文界の大魔王終
ラベル:木村鷹太郎 年表
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2010年03月25日

バイロン文界の大魔王 第十七章09

此くの如きはバイロンの人物及び其詩の性質なり。而して吾人はバイロンは日本に輸入せざるべからずとなす、我国今日の如き弱々しき文学者の多き時代に於ては、炎々たる烈火の気力あるバイロンを要するなり。
自称天才、偽文士等の多き時代に於て、是等を耻かしむる所のバイロンを要するなり。
阿諛、※[#「言+稻のつくり」、第4水準2-88-72、謟]侫、偽善、嫉妬、中傷の盛なる時代に於て反抗的精神のバイロンを要するなり。
今日我国に於ては、義侠の如きは全く人心中にあることなし。此時に当りて義侠の精神に燃ゆる所のプロメテオス的バイロンを要するなり。
社会万般の事物の陳滞し、人間の腐敗せる時代に於て、之を郭清し、之を一掃する暴風的人物たるバイロンを要するなり。
バイロンは日本文学者輩の如き腰抜けならず。
バイロンは文士保護を云ふが如き、乞食論を為さゞりしなり。
バイロンは社会の風潮に媚び俗人の嗜好に阿り、婦女子等を喜ばせんとして筆を執らざりしなり。
バイロンは言ふべきは之を言ひ、攻撃すべきは之を攻撃し、反抗すべきは之に反抗し、決して左顧右盻せしことあらざるなり。
実にバイロンの精神は活動せり。又た決して圧伏すべからざるなり。バイロンは斃れて起き、起きては斃れ、斃ると雖自己の精神を救ひ、満足を得ること能はざる以上は其戦争を断念せざるなり。実に彼は戦争精霊の化身なり、彼の言語は挑戦の喇叭なり。進軍吶喊の響なり。其詩文は正規なる嵌工に非ずと雖、言々語々生気を呼吸して、一箇消すべからざる所の『バイロン』と云へる印象を有す。彼れ実に人物なり。確固不抜の人格を有す。彼の為に自然万有は起立して、世界に向て証言して曰はん『此れこそは「男子」なり』と。



○バイロンを日本に輸入せよ
○腰抜け、骨無文士の多き日本腐敗せる社会の日本にはバイロンの如きを要す
○バイロン文士保護を云はず
○俗人婦女子に阿らず
○戦争精霊の化身
○挑戦の喇叭
○進軍の吶喊
○これこそは男子なり』
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2010年03月24日

バイロン文界の大魔王 第十七章08

バイロンの友情に就きて一言せざる可からざることは、其種々の過誤欠点あるに関せず、一度友としたる所は、一生之を失はざりしことゝなす。其朋友たり、師傳たり、従僕たり、皆バイロンの死すまで、能くバイロンに愛着せしなり、殊にバイロンが成熟したる愛情を與へたる女子は、皆な終までバイロンの名を神の如く思ひて之を愛着し、之を敬したり。
ウイリアム、ビー、スコット、バイロンに対する感情を述べて曰く『今や時を隔つと雖、バイロンに就て語るときは、吾人は困難畏懼謙遜及び大なる敬意無くんばあらざるなり。而て太初に起る所の感情は尊敬なり。彼の想像的の発明、透視的の評価、壮麗なる雄弁及び無尽蔵の才智等の天才に対しての無限の敬意と喜ばしき認識是なり。これ皆なバイロンの書中に存する所なり。然るに一旦バイロンの壮麗にしてナポレオン的の容貌の、小児の如く又た大人の如きを見たる後は、彼れが行為に発表したる所の経歴、一身の境遇、英国貴族としての光栄、及び其祖先をも知らんことを幾ふに至るべし。殊に其判断力の健全なる、道義の雄偉尊大なる、性質の自治自命にして而も寛容なる、言語真実にして且廉耻を重ずる等、彼の内部の実性を知るときは、其文学上の才能技量の如きは、殆ど※[#「火+嚼のつくり」、爝]火の日光に於けるの感なき能はず。而して吾人をして敬意を有せずしてバイロンに就て語ることを耻辱と感ぜしむるなり』と。真にバイロンを知れるの言と謂ふべし。



○朋友と師伝とは一生不和せしてことなし
○愛したる女子はバイロンを神の如く敬し愛す
○吾人の敬意
○廉耻を重んず
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2010年03月23日

バイロン文界の大魔王 第十七章07

人往々バイロンを評して不道徳なりと云ふ。
然り、バイロンは多くの婦女を愛したり、又た多くの婦女に愛されたり。之れ素より厳格なる道徳より云ふ時は不道徳なり。されども多くの婦女を愛し、多くの婦女に愛されたればとて、何故に、彼れに向て此くばかり激烈なる攻撃を加へざる可からざるか。男女の愛情は左程に重大なる悪なるか。情の事は関係極めて緻密のものなり。道理一律を以て論ずべきに非ず、其非常に悪結果を生ぜざる限りは寛容なる眼を以て之を見ざる可からざるなり。然るに偽善の社会は此点に向て殊に非常の厳格を用ゆ。寧ろ之れ嫉妬と云ふべきなり。
彼れ多くの婦女を愛し、又た多くの婦女に愛されたり。然りと雖、毫も柔弱化せしことなり、不正を行ひしことなし、賄賂を貪りしことなし、人を酷待せしことなし、正義を誤りしことなし、信を欠きしことなし、虚偽を言ひしことなし。然り、彼れや、多くの婦女を愛し、又た多くの婦女に愛されて而も堂々男子の勇気は人に優れり、其義侠や人に優れり、其判断や人に優れり。
其重大なる徳義に於ては、彼れ毫も其道を誤らざるなり。而して世間は其重きものを見ずして其軽きものを見、彼れの徳の大なるを徳とせずして、其小疵を大不徳なりとして攻撃す。何ぞ誤れるの甚しきや。
此くて社会は此大天才に向て攻撃の雨を降らし、自国より放逐し、他国にまでも追跡し、而して偉大なる事業に斃るゝに及びて初めて其敬すべき天與の大才なるを感ず。社会の愚と盲と、一に何ぞ此くの如きや。
世のバイロンを以て不道徳なりと云ふの輩、小道徳家等の批評に雷同することなく、直接にバイロンを研究し、若し彼れバイロンの女子の関係の外、真に所謂不道不義なるものあらば、正に堂々と之を指斥せよ、徒に雷同して人を判す。之れ士君子の為すべき所に非ず。且つ心ある人は却て此くの如きの輩を笑ふて云はん、曰く「彼れ醜夫なり、美人に愛せらるゝの姿格なきなり、彼れ男子らしき男子に非ず、故に美人に愛せられざるなり。己れ愛せられざるを以て嫉妬の情を以てバイロンを悪言し、中傷するのみ」と。男女の関係の如き決してバイロンを軽重する者に非ず。バイロンは餘り多くの当時の所謂文士なるものと交際せざりしなり。自ら其事を言ふて曰く『余は彼等を嫌ふに非ずと雖、彼等と会見して一言彼等の近作を称せし後は、何を言ふべきやを知らざればなり』と。之れ其阿譯[#諛?]追従を好まざるを示めす言たるなり。バイロンの最も親しく交はりたる、詩人は、スコット、ムーア、及びシェレー等なりき。



○バイロン如何ばかり不道徳
○女子を愛し女子に愛せらる 何かあらん
○バイロン正義を誤りしことなし
○世間の評の誤り
○バイロンは男子しき男子
○故に美人に愛せら
○バイロン所謂文士と多く交際せず
ラベル:木村鷹太郎
posted by 天城麗 at 00:00| Comment(0) | 文界の大魔王 | 更新情報をチェックする
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