2007年11月10日

短編バイロン詩集 INDEX

『短編バイロン詩集』
バイロン卿 (1788-1824)著
児玉花外 (1874-1943)訳
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全47エントリー(2007/11/10〜2008/08/10)※一部欠損
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ラベル:児玉花外 INDEX
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『短編バイロン詩集』序

  

バイロンは熱烈太陽如き天才なり、またアルプスの大雪なり、地中海の波濤なり、彼れ美貌花の如く、女子を迷はすの惡魔、イタリヤに將軍としては男子亦彼れの爲に死を願ふの美所と義侠とを有す。吁、バイロンの詩は劍なり、旗なり、苦痛の膽滴なり。現今我が詩壇活氣なきと秋の夕の大墓場の如き時に際し、偉才バイロンの感情と精神に依つて、死人の群に光赫の火を投ぜらるれば幸なり。
此著、榎本秋村子の力を勞する所多し。
       東京礫川の草廬の中
 明治四十年十月    兒玉花外識

ラベル:児玉花外
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2007年11月11日

『短編バイロン詩集』緒言

  緒言

バイロンは十九世紀の英詩人中最も偉大なる天才である、其詞藻や雄渾華麗であつて、其調や清新纎婉である、直にバイロンの詩文を了解せんと欲するものは彼を生み彼を造りし當時の社會と彼の性行境遇を知ると共に彼の如き絶倫の才氣思想を有しなければならぬ、殊に飜譯中最も至難の詩文を、語法、風習の異れる邦語に、完全に譯出することは、如何なる博學多才の人にも到底不可能である。加ふるにバイロンの如き奔放自在の詩想は、余の如き淺學短才のものの迚も其眞意の十分一も寫す事が出來ない、余は只だ英文の素養のない人々に、此偉大なる詩人の面影の或る一部を現はせばそれで滿足なのである。此書に譯せし彼の短詩四十篇は折にふれ時に感じ、新聞又は雜誌に掲載したのであるが、普通の七五調は彼の詩文に適せぬため概ね散文詩體に譯したのである、譯文は可成原文に忠實ならんことをつとめたが往々意譯した處もある、バイロンの詩は他の詩人の詩よりは多少難解であつて、意味も深邃であるから、吟唱數回漸くその意義を了解し得る如き個所もある、故に譯文の盡せないところは幾重にも讀者識者の叱正を得たいのである。
余は爾來一層研究を重ねてバイロンの他の長短を飜譯せんと心掛てゐる。
 明治四十年十一月
譯者識
ラベル:児玉花外
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2007年11月12日

『短編バイロン詩集』目次

目次

第一 若き令孃の夭折
第二 戀愛の接吻
第三 涙
第四 我は御身の泣くを見たり
第五 カロライン孃(一)
第六 ナポレオンの最後の訣別
第七 離別
第八 愛の最後の別れ
第九 妄想
第十 彼女は美に於て歩む
第十一 我は快活なる小兒たりしを願ふ
第十二 嗚呼、それ等の爲めに泣け
第十三 自然の祈祷
第十四 カロライン孃(二)
第十五 ヨルダンの河岸
第十六 婦女
第十七 二人の別れ
第十八 時
第十九 希臘西の戀愛歌(一)
第二十 御身は僞ならざれど變り易し
第廿一 冷靜此惱める肉體を蔽ふ時
第廿二 去れよ、去れよ、汝悲哀の曲
第廿三 若く麗はしくして御身は逝きぬ
第廿四 印度人の歌調
第廿五 ヘロードの嘆き
第廿六 カロライン孃(三)
第廿七 若き友
第廿八 御身は幸bネり
第廿九 希臘西の戀愛歌(二)
第三十 詩~に別れを告ぐ
第卅一 高慢なる婦人
第卅二 丘上より遙に母校を臨む
第卅三 戀愛
第卅四 我はバビロンの河岸に坐して泣けり
第卅五 闇K
第卅六 さらば御身安かれ
第卅七 或る婦人に與ふ
第卅八 マルタ島に別る
第卅九 戰死を悼む
第四十 さらば
ラベル:児玉花外
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2007年11月13日

『短編バイロン詩集』バイロンの生涯(1/5)

バイロンの生涯

▲一千七百九十年、放恣なる陸軍の一大尉は、無情にも便なきその妻と、二歳の嬰兒とを龍動の荒野に棄てゝあつたが、その士官の名をジヨン、バイロンと云ひ、妻をカザリン、ゴルドンと云つた、妻は泣く/\跛足の一子と共に己が故郷なるアバージンに行き、僅少の收入に母子の露命を保つたのである。
▲その跛足の嬰兒こそは、實に後日雷名を天下に轟したる大天才、ジヨールヂゴルドン、バイロンなのである、彼は大叔父死歿後、その家名を續いて貴族となり、莊園邸宅の所有者となつた、彼は初めハーローに學び、後ケンブリツヂに入學した、十七才の少年なる彼は、氣質の轉變常ならざる母に養育せられたので、著しく多情多感となると共に常規を脱して放恣となつたが、讀書のみは日夜怠らなかつたのである、彼はあらゆる種類の書籍を愛したのみならず、特に深く東洋史を愛したので、此傾向は彼の主なる詩篇に大なる影響を與へ、何となく東洋風な處が現はれてゐる。
▲彼の容貌の美しさは、恰んど女にしてもみまほしき程であつた、初めて女を戀したのは八才であつて、十二才の時は其從妹に思を惱したのである、マリー、チヤオースに逢つたのは彼の十四才の時であつたが、彼女の冷かなる擧動は、彼の一生に於ける最初の慘苦であつて、かの優婉の詩「ドリーム」の一篇は、彼の少年時代に於ける戀愛の悲しい事實を語つてゐるのである。
▲ケンブリツヂに前後二年の生活中、學生間に親交あるものもあつたが、不覊放逸なる彼は、その友情を長く保つことが出來ず、忽ちにして不和となり疎遠となり、遂に反目に終つて了つた、彼の奇僻は種々あつたが、特に室内に猛犬を飼育して、訪ひ來る人々に誇示した如きは甚だしい一つである、生來負け嫌ひなる彼は、跛足ながらも如何なる運動にも決して他人の下風に立たない、だから彼は在校中ラテンの詩文などよりも、寧ろ、クリツケツトやホツケーやボートレースを愛した、そして巡遊の際は何時も大きな犬を伴れて歩く、その愛犬が死んだ時などは痛切なる碑文を書いた位である。
▲彼が在校中、折にふれ徒然に任せて書いた詩は「閑日月」と題する小册子となつて千八百〇七年即ち彼が廿才の時出版された、エヂンバラ評論は甚だしく之を酷評したので、彼は非常に激怒して「英國詩人と蘇國評論家」と題する一詩を著して、エヂンバラ記者及び其他の詩人を嘲笑罵倒したのである。
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