2008年03月29日

泰西名詩選集 バイロン詩集 INDEX

『泰西名詩選集 バイロン詩集』
バイロン卿 (1788-1824)著
幡谷正雄 (1897-1933)訳
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全86エントリー(2008/03/30〜2008/06/21)
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2008年03月30日

『泰西名詩選集バイロン詩集』01序

  序

 多くの有名な批評家の言つてゐる通り、バイロンは十九世紀の最大の詩人であつて、沙翁以來の天才詩人として、熱烈奔放な革命兒として英文學史上に不朽の一大異彩を放つてゐる。否、彼れは一英國人でなくて、寧ろ大陸人であり、世界人である。彼れは一英詩人として納まることの出來ぬ世界的詩人であつた。彼程世界の文壇を動かしたものは東西古今にその比を見ないのである。この「詩壇のナポレオン」はペンを以て世界を風靡しようとしたが、それは終に實現せられた。即ち十九世紀のロマンティシズムの運動の先驅者は實にバイロンであつた。かくて各國にその國のバイロンが現はれ、ドイツにはハイネがあり、フランスにはミュッセを始め、ユーゴーラマルティーヌ等があり、ロシヤにはプーシュキンレルモントフ等が現はれて、文學上に新しい運動を起した。この意味に於いても、ゲーテやハイネが讀まれる限り、彼等と同等に、否それ以上に、バイロンが讀まれなくてはならないのである。
 けれども、バイロンの詩には眞實精妙纖美を以て許されるやうな詩句は少なく、同じ英詩人のうちで、ワーヅワースシェリーキーツテニスン等の詩に見られるやうな形式上の整頓和諧といふものも尠ない。即ち幽趣微韻がなく、粗大蕪雜であると非難せられてゐる。これは確かに事實である。けれどもそれはそれとして、バイロンは詩作の態度が他の詩人と異つてゐる。彼れが『ララ』を書いたのは、舞踏會から歸宅して衣服を脱ぎ換へる間であり、『海賊』は四日間で、『アバイドスの花嫁』は十日間で書いてゐる。これがために彼れは健筆家であると歎賞せられてゐるが、ともかく、こんな速筆であるから、彼れには推敲鍛練をする餘裕はないのである。彼れは感じたまゝを直ちに歌ひ、熱情の溢れるまゝに書いた。彼れの詩は噴火山であり、爆彈であり、咆哮であり、雷霆であり、暴風であり、瀑布であり、怒濤であり、激流である。從つてその詩には自由奔放、雄渾莊麗なものが少なくない。
 それ故に、彼れの詩は同時代のトリオとして數へられたシェリー、キーツには及ばない點があり、又その詩風も寧ろ舊套を踏襲するものもあるが、彼れの詩が讀まれるのはその内容であり、精神である。即ち彼れの詩は熱烈眞摯を極め、激烈な叛抗的精神と沈痛悲壯な調を帶びてゐる。彼れは時代の代言者であり、彼れの詩は時代の聲であつて、燃ゆるが如き熱情と美しい修辭を以て、不平不滿、苦痛、絶望、不信、破壞を歌つた。彼れはあくまでも赤裸々な自然兒であり、快樂を追求する人間の子であつた。青春の歡樂も一場の儚い夢である。幻滅の後には堪へ難い悲しみが襲うて來る。惡魔的な半面にはかうした感傷的な弱い點がある。彼れの詩はこの人間苦と世界苦の僞らざる表白であつた。ともかく、バイロンの詩は燃ゆる情熱のマツスであり、熔岩ラヴアである。
 かやうな彼れの詩が當時の人氣を博したことは極めて當然なことであつた。彼れの一代の傑作『チヤイルド・ハロルドの巡遊』が上梓せられるや、忽ちにして洛陽の紙價を高からしめ、かつては彼れを嘲罵した者も、今は言葉を盡して讃辭を呈し、一躍して彼れは詩壇に覇を唱ふるに至つた。『或朝目ざめてみると、私の名は世に高かつた』とは、誰も知る通りこの時のバイロンの告白である。實際、彼れの名聲は餘りに豫想外であり、突如的であつて、四週間に七版を重ねるに至り、スコットをして終にその詩筆を棄てしめたほどであつた。又『海賊』の如きは一日に一萬四千部といふ破天荒の賣行を呈した。詩壇の麒麟兒となつたロマンティックなこの若い貴公子は、その美貌を以て社交界の花形と謳はれ、男からも女からも愛慕、崇拜せられ、特に青年は髮毛の刈り方、皮肉の言ひ振り、その衣服の縞柄や色合ひ等に至るまでバイロンの眞似をし、甚しきに至つてはバイロンが跛足であつたゝめ鳥の飛ぶやうに歩くのを眞似る者もあつたといふ。當時大陸で最も人氣を聚めてゐたのはゲーテであつたが、そのゲーテもバイロンを極力讃嘆し、ゲーテの娘の如きはゲーテ以上にバイロンを愛讀したといふことである。
 常にギリシヤに憧れ、革命の焔を胸に燃やしてゐたバイロンはその晩年に於て「詩と人道の神聖同盟、思想と實行の一致」を實現するためギリシヤ獨立軍に投じ、革命的狂熱の美しい光輝の中に光榮の最後を遂げた。ミソロンギイに於ける英雄の死が傳はるや、多くの人の感動する所となり、ハイネの如きは自分の近親が死んだやうだといつてゐる。また當時十四歳の少年詩人テニスンが『バイロンは死んだ!』といつてサマースビイの岩に彫りつけたが、この挿話エピソードは歐洲全體の感動を表出してゐる。テニスンが自叙傳で、『その日は世界が私にとつて眞暗になつたやうな氣がした』と言つたが、それから今日でもう百年になる。三十六年餘の短い彼れの一生は一の哀史である。彼程波瀾多く數多の運命を極めた人は少ない。けれどもその詩は殆ど世界各國に飜譯せられて萬人の胸に交響樂シンフオニイを奏でゝゐる。そして彼は政治上には革命を、文學上にはロマンティシズムの新運動を起す源泉となり、導火線となり、自由と獨立の翹望せられる所では到る處彼れの詩が愛誦せられた。ロシヤのヴォルガの河は春麗な日に大洪水を起すのである。これは谷間の氷が融けるからであるが、その洪水の跡には美しい高フ所謂曠野ステツペが出來て美しい花が咲き亂れるといふ。バイロンの一生が例へばこれではなかつたか。自由の種子は歐洲の大陸の原野はいふまでもなく、遠く東洋にまで蒔かれ、美しいロマンティシズムの花を咲かせ、革命の實を結んだのである。そしてその影響は、『すべての國民により、すべての時代』を通じて感ぜられてゐる。
『バイロンは海の波の中からいつも若やいで來る』とは、ゲーテの言葉であるが、彼れの若々しい熱情、純粹な心情はいつまでも人々を引きつける魔力をもつてゐる。變らぬ新らしさと、永久の生々しさとは彼れの特徴であつて、この情熱の詩人が百年前に歌つた調べは、今の吾々の胸にも新しい響を傳へるのである。實際、現代はバイロンの時代とそんなに變つてはゐない。詩的戰士となつて、傳統的な道徳宗教と戰ひ、自由と獨立を望んだ彼れの絶叫は言ふまでもなく現代に深い關係がある。バイロンの生きた精神を學ぶことは現代に於いて最も意義のあることであり、今の文壇に缺けてゐるものも實に彼れの眞精神であるやうに思はれる。この意味に於いて彼れの百年忌に際して貧しいながらも彼れの詩集を公にすることは意義のあることゝ思ふ。

 既に定評のある通り、バイロンの詩は非常に難解であり、殊に彼れの如き自由奔放の詩想は淺學菲才の譯者には到底その眞相を寫すことは出來ないのである。譯詩の至難、否、眞の意味に於いては不可能なことは今更いふまでもないが、バイロンは私が共鳴を持つ詩人であるので、この拙い譯詩を公にしたのである。英文に素養のない人にせめてこの情熱詩人の面影の一部でも傳へることが出來れば譯者の滿足である。英國の一批評家が『外國人がバイロンを讃美するのは詩の韻律に對する理解がないからだ』と言つた。今バイロンの詩の韻律を云々するのではない。言語系統の近い大陸の人々にさへバイロンの詩の韻律は分らないで、從つてそれは問題外として、その内容に魅せられたのであるといふのだが、日本語に譯することになると、それこそ文字通りに彼れの詩の内容、意味を寫すにすぎない。否それ丈でも出來ればまだ結構な方である。
 バイロンを知るには、『チヤイルド・ハロルドの巡遊』、『不信者』、『海賊』、『パリシナ』、『マンフレッド』、『マゼッパ』、『サアダナペイラス』、『ドン・ジュアン』等の長篇を讀まなければならぬが、それらは悉くこゝに收めることは出來ないので、抄譯によつてその一斑を示すことにした。短篇も全部收めてはないが、バイロンの思想性格を現はしてゐるものは大抵網羅した積りである。これらの詩の内には熱切な戀愛詩もあり、或ひは自由を謳ひ、革命を讃美したものもあるので、この詩集を全部讀んで貰ひたいと思ふのである。
 譯語は二三の韻文譯を省いて、全部口語を用ゐた。又譯し方は出來る丈原文テキストに忠實に譯したが、中には思ひ切つて意譯した所もある。前にも言つた通り、バイロンの詩は難解で、意味深長であるから數回讀んで漸くその意味を解し得るものがある。譯詩の盡せない所は讀者諸氏の叱正を切に乞ふ次第である。
 この譯詩の多くは以前に譯了したものであつて、この百年忌に公にするに際して訂正する考へであつたが、折惡しく病床の身となつたのでその儘にして出すことになつた、他日出來ることならより完全なものを出したいと思つてゐる。
 尚この譯詩集を上梓するに就いては中根駒十カ氏の少なからぬ御肝煎を辱うしたので、こゝで謝意を表して置く。

  一九二四年四月十九日
          バイロン百年忌の日
               袖ヶ浦の邊にて 譯者
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2008年03月31日

『泰西名詩選集バイロン詩集』02若い乙女の死を悼む

若い乙女の死を悼む
――作者の從妹で、非常に親しかつた女――

いとしいマーガレットの墓を訪れて
 なつかしい墓標はかいしに花を撒き散らすとき、
風は凪ぎ、ほの暗い夕べは靜かに、
 樹の間にはそよとの風も吹かぬ。

あゝ! かつてはあんなに美しく輝いてゐた彼女は
 今はなきがらとなつてこの狹い穴の中に眠つてゐる。
死の神は犧牲いけにへに彼女をとらへ、
 美徳も、美貌も、彼女の生命いのちを取返すすべはなかつた。

あゝ! もし死の神に慈悲があれば、
 天が運命の恐ろしい宣告を飜へしてくれるなら、
こゝで悲しむ私の歎くこともなく、
 彼女の徳を讃へる詩人もゐないのに!

けれどなぜ私は泣くのだらう? 彼女のたぐひなき魂は
 の美しく照り輝く彼方かなたび、
啜りなく天使エンゼルに導かれて
 彼女は美徳の報ひに限りなき快樂たのしみを受ける樂園に行くのを!

それに人の身として恥かしくも天をたゞし、
 物狂ほしく、尊い神を責めるのではないか?
あゝ! 否、そんなはかない企圖わざは去つて行け──
 私は神に從ふことを拒むまい。

彼女の美徳の思ひ出は今も懷しく
 美しい顏は今も鮮やかに記憶に殘り、
思ひ出す毎に温い愛情の涙を誘ひ、
 今も猶私の胸にはその面影が宿つてゐる。
――一八〇二年──



註。マーガレットは海軍大將パーカーの娘で、バイロンより一つばかり年上の容色優美の少女であつた。彼女は詩人の初戀の對象であつたが、交ること二年にして肺を病んで、はかなくこの世を去つた。
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2008年04月01日

『泰西名詩選集バイロン詩集』03E――に

E――に

おまへとわたしの名が
友情で結ばれてゐるのを見て笑ふ馬鹿者には笑はせよ、
けれど徳のあるものは、位が高くて不徳の者よりも
更に大きな愛を受けるものだ。

おまへの運命さだめは私と同じでなくても、
わたしがおまへより高い身分に生れてゐても、
この華美はでな身を羨むな、
おまへはつつましい徳の矜恃ほこりをもつてゐるのだから。

二人のこゝろは何はさて合つてゐるから、
おまへの運命さだめが悲しくともわたしの位を辱かしめることはない。
二人の交りはほんとに樂しいのだ、
身分の違ひは何でもないからね。
――一八〇二年一一月――
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2008年04月02日

『泰西名詩選集バイロン詩集』04D――に

D――に

私はおまへを、愚かにも唯死のみが
割つことの出來る友としようと思つたのだ。
それに嫉妬ねたみは毒の手を伸べて
わたしの胸から永久とこしへにおまへを奪ひ去つた。

ほんとに、嫉妬ねたみはおまへをわたしの胸から奪つてしまつた。
でも、わたしの心の中にはおまへが宿つてゐる。
さあ、この胸におまへの姿を抱いてゐよう、
胸の鼓動のやむまで。

そして墓場がおまへの亡骸なきがらよみがへらせ
再び土に生命いのちが與へられたとき、
おまへのなつかしい胸にわたしの頭を横へよう――
おまへのゐないのに、どこにわたしの天國があらう?
――一八〇三年――
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