2007年10月10日

高山樗牛『バイロンに對する感想』

バイロンに對する感想 高山樗牛

われをして詩人たらしめば、願くばキヨネルたらむ、唯それキヨネルたる能はずば、願くばバイロンたらむ、バイロン尚ほ能はずば、願くばハイネたらむ、バイロンには悪魔の力あり、ハイネには毒蛇の舌あり。世に凡人の數、幾十百千萬ありとするも、人類に於て何の益する所ぞ、願くば彼等の十萬を割いて一バイロンを得む。

人生詩歌文庫5『バイロン詩集』人生社の巻頭文より
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青空文庫 - 作家別作品リスト:高山 樗牛
高山樗牛 - Wikipedia
ラベル:高山樗牛 ハイネ
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戸川明三『英文學講話』から

  バイロン

「バイロン」に至ては亂暴もので殆ど英吉利にも居られないやうな人であつた、恰度佛蘭西の革命を文藝の上に代表した人で、國などはどうでも宜い、それから宗教は皆打破してしまへと云ふのであつた。さうハツキリと明言は仕なかつたがまづそんな考を持つて居た。それからして素行に至つては勿論無茶苦茶であります。

  シエレー

「シエレー」も同樣な詩人でした。只も少し塵界を脱して超然とした處があつたのです。併し大體から言へば同種類です、二人共國を去て國に居られないで「バイロン」の方は希臘の革命軍に投じて死でしまつた「シエレー」の方は伊太利の「レゴーン」と云ふ處で水に溺れて死でしまつた、此れ等の詩人は孰れも思想界に革命を遂たと言て宜いのでありますが、其内「ウオルズウオルス」は今言た通り、極く穩かな方で或は靈魂の不滅を歌ひ或は極く寂しい處に稻を苅て居る女の其寂し味を見て居る「バイロン」や「シエレー」詩は飜譯もあるから一々言はなくても御承知でせうけれども非常な勢いで世を罵りまた嘲つて居る「バイロン」の書いた物は「ウオルズウオルス」を馬鹿にして罵つて居る、罵るよりは餘程嘲弄して居るとがある、それで十九世紀の文學は殊に英文學は此「ローマンチシズム」及び理想主義并に「ナチュラリズム」とがズッと續いて今日まで來て居る、是れが十九世紀の文學を一貫した處ものである。

戸川明三 (戸川秋骨 1870-1939)
東亜堂『英文學講話』
明治四十一年十一月十五日印刷
明治四十一年十一月廿二日發兌クリックせよ、さらば開かれん
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『汗血千里マゼッパ』掲載広告

バイロン作『カイン』●木村鷹太カ君譯

宇宙人生の神秘劇 天魔の怨

ゲーテ評して空前の大作と言しは此書にて剛愎なる懷疑深玄なる哲理を以て宇宙人生を大觀す、星斗燦たる天界陰欝なる死界の逍遙あり、樂園あり荒野あり、曉星あり夕照あり、惡魔あり美人あり、宇宙の眞相人生の意義、生死の覺悟色欲と生欲、人類の將來等の問題は美麗なる戲詩として現る素より人類に對する同情の涙ありと雖又た反抗的奮鬪的態度を以て人生に處せんとする氣概の凛然たるものありて全體の構想言語や實に荘嚴雄大優美を極む宇宙人生の問題本書に依て釋然たるものあるべし

發行所 二松堂書房
    岡崎屋書店




バイロン原作木村鷹太カ君譯

海賊(訂正第六版)

之れ高尚なる思想を有し社會人類に盡さんとしたる一哲學者が社會の忘恩嫉妬に憤る所ありて身を海賊となし以て世界萬人に復讎せんとするなり『我船』『我劍』之れ彼の權利哲學而も彼れや『精進主義』の朴の素生活『思想の力』を以て衆を服し以て海上に號令す。本編には金波燦たる地中海あり海岸丘上の樓閣あり琵琴の和樂あり阿鼻哄喊劍戟の音天を焦がす炎々たる火炎あり、愛あり敵あり、さゝやかなる谿流あり狂瀾怒濤あり、鐵石冷たる哲學者海王に對しては夜叉の如き天女の如き艷麗なる美人の熱烈なる戀愛あり。實に美にして力に富める活動的大文學。宜なり原詩は發行即日一萬四千部を賣り盡したるや。譯者は『日本のバイロン』たる木村君。譯文は口に吟誦すべき、一種の文體。

發行所 尚友館書店

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2007年11月07日

高山樗牛『文は人なり』から

文は人なり(1912)
高山樗牛(1871-1902)著
姉崎正治(1873-1949)編

バイロンの詩(厭世論の一節)

うつせみのために
 自然の影にぞ
聲なきみそらに
 くもらぬかゞみに
おくつき前に
 靜けき森に
うるはしき天地に
 無からむにも劣る
皮肉のほだしに
 浮世のなみだは
我は生きじ
 我はやどる。
月しみれは、
 我がたまうつる。
ひとり立てば
 歌ぞきこゆ。
などひとり
 我等の世ぞ、
繋がれずば、
 知らざらましを。

(廿五年十二月、四巻十九)。

国立国会図書館 近代デジタルライブラリー『文は人なり』28コマから。
ラベル:高山樗牛
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芥川龍之介『本の事』から

Byron の詩
芥川龍之介(1892-1927)

 僕は John Murray が出した、千八百二十一年版のバイロンの詩集を持つてゐる。内容は Sardanapalus, The Two Foscari, Cain の三種だけである。ケエンには千八百二十一年の序があるから、或は他の二つの悲劇と共に、この詩集がその初版かも知れない。これもしらべて見ようと思ひながら、いまだにその儘打遣うつちやつてある。バイロンはサアダナペエラスをゲエテに、ケエンをスコツトに献じてゐる。事によると彼等が読んだのも、僕の持つてゐる詩集のやうに、印刷のつたない本だつたかも知れない。僕はそんな事を考へながら、時々唯気まぐれに、黄ばんだペエヂを繰つて見る事がある。僕にこの本を贈つたのは、海軍教授豊島定としまさだ氏である。僕は海軍の学校にゐた時、難解の英文を教へて貰つたり、時にはお金を借して貰つたり、いろいろ豊島氏の世話になつた。豊島氏はさけが大好きである。この頃は毎日晩酌のぜんに、生鮭なまざけ塩鮭しほざけ粕漬かすづけの鮭なぞが、代る代るつてゐるかも知れない。僕はこの本をひろげる時には、そんな事もまた思ふ事がある。が、バイロンその人の事は、ほとんど念頭に浮べた事がない。たまに思ひ出せば五六年以前に、マゼツパやドン・ジユアンを読みかけた儘、どちらも読まずにしまつた事だけである。どうも僕はバイロンには、えんなき衆生しゆじやうに過ぎないらしい。

青空文庫 - 図書カード - 芥川龍之介『本の事』
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