お前の紅い脣を見るたびに
その紅色は私の燃える接吻を誘ふのだ。
けれど私はその清い幸ひを棄てよう、
あゝ! もしそれが清い幸ひでなかつたなら!
お前の眞白な肌を夢見るたびに
その雪白の胸に凭れたいと思ふのだ。
けれどこんな大膽な願ひは抑へてゐる、
なぜなればお前の胸の休息が逃れてはと思つてゐるから。
靈を探ぐるやうなお前の眼から一目見られた丈でも
私の胸は希望に燃え、恐怖に抑へられるのだ。
けれど私は戀を祕めてゐる――何故だらう?
苦しい涙を強ひてお前に流させたくないからだ。
私は戀を打ち明けたことがない、けれどお前は
私の燃える胸の炎をよく知つてゐる。
それに今私の戀を訴へて
お前の胸の樂しさを地獄にする必要がどこにあらうか?
否! 坊主の宣言で結ばれて
お前は私のものとなることは出來ないからだ。
坊主の手を措いて外に、戀人よ、
お前は私のものとはなれないのだ。
ではこの祕めた焔を燃えるまゝに燃やさう、
燃やしても、お前は知るまい。
罪の焔でお前を燒くよりも
私は喜んで苦しい運命を受けるのだ。
お前から鳩の眼をした平和を求めて
私の苦しい胸を安らかにしようとは思はない。
そんな惱みをお前に與へるよりも
私はわがまゝな思ひを棄てたいのだ。
でも、その脣をわがものとしたい、
そのためには口にせられぬほどの大膽なことをしたのだに!
けれどお前と私の心の清さをたもつために――
今はお前におさらばをする。
さうだ! 絶望を求めるためにその胸と、
そしてお前の優しい抱擁をもはや望むまい。
それを私のものとするには、私の靈は
どんな咎をも恐れないけれど――唯お前に恥辱を與へたくないのだ。
せめてはお前を罪から逃れさせ、
人妻にお前の恥を誹らせるやうなことはすまい。
たとへ癒えぬ痛手にこの胸を痛めても
お前を戀に身を捧げる殉死者とはしたくない。
これと全く同じ「M・S・Gに」の詩の日本語訳で、
心の奥も貫く君の眼差しの光は
望みもてかきおこし おそれもて沈ましむ
されど我はこの恋を秘してあらん
君の苦き涙を流さんをはばかりて
この恋をうちあけしことはなけれど
君は知れり
激しく燃ゆるこの炎をいまさらに
我が情熱の言葉をつけて
君の胸の楽園を地獄となす心も無し
といった文体で書かれている書籍をご存知ありませんか?探しています。
TO M. S. G. (Whene'er I view those lips of thine,...)ですね。手元にあるのは13冊、
牛山充訳「薔薇にまがふ君が唇/されば秘めたるこの焔
阿部知二訳「君のかの唇の/われはこの恋を打ち明けしことなけれど
片山彰彦訳「いと紅き君が唇見るときは/われいまだ胸の情炎を語らねど
熊田精華訳「君が唇見むときは/我いまだ恋ふと言出ず
石躍信夫訳「薔薇にも似た君が唇/私はまだ秘めた心をば
斎藤正二訳「おまえのその唇を目にするたびに
吉田新一訳「君のその唇を見るたびに
阿部瓊夫訳「おまえの唇の色が
宮崎孝一訳「君の あの唇を見るたびに
三浦逸雄訳「あざやかなる君の唇よ
と、このページの幡谷正雄訳です。
ぴったりそのままというものはありませんでした。
neverに「しかし」や「〜なけれど」ではなく「されど」を、文末に「〜あらん」使っているあたりは木村鷹太郎氏、土井晩翠氏といった明治時代の翻訳者が想起されます。強めで調子のよい翻訳なので明治時代か明治生まれの翻訳者ではないかと思います。
伝記や研究書で一部のみ翻訳というパターンも考えられます。
もしくは非常に短く再編集された詩(3、4スタンザを意訳)なので詩の翻訳を数行取り出したものではなく最初から「こんな感じの詩」という概要を明治調に書いたものかもしれません。
曖昧な情報ばかりでお役に立てずすみません。情報が見つかることをお祈りしています。
(できれば私も読みたい!)
バイロンさんの一ファンのものです。
大変今更なのですが、
such at様がコメントされているものは
安部知ニさんの訳ではありませんか?
管理人様も読みたいとおっしゃっていましたので、
もう既にご存知かもしれませんが、
一応、お伝えしておきますね。
確認いたしました。
阿部知二訳『新訳バイロン詩集』の旧版(昭和13年発行・新潮社)ですね。
手元にあったのに見落としていたとは……失礼いたしました。