2007年11月13日

『短編バイロン詩集』バイロンの生涯(4/5)

▲バイロンも他の詩人の如く筆を劇詩に染めてあつた、されど有名なる「チヤイルド、ハロルド」や「海賊」の此著者は、それにふさはしい程の滿足の結果を收むることが出來なかつた、余の前に語つたやうな陰暗な幽欝な一種のまぼろしが此不幸なる大詩人が、その影多き晩年にものせし多くの悲劇や宗教劇に朦朧として現はれてゐる「ケイン」「マンフレツド」は劇詩中の優なるものであつて、其他「サルダナパラス」「ウエルナー」「天地」「マリノ、フアリエロ」等の諸篇がある、そして、かの大作「ドン、フアン」は最も精巧な著書であつて、奇拔な巧妙な幾多の章句に滿ちてゐる此偉大なる天才の悲しい紀念物とも云ふべきものである。
▲バイロンの最後の壯擧は稍其晩年に傷心の光をなげてあつた、即ち彼が歌ひし古代の榮譽や絶佳の海濱を有する懷かしき希臘西を鼓舞して、土耳古の無道なる覊伴を脱して自主自由の國たらしめた、實にかの希臘西獨立戰爭は此時に初つたのである、彼は燃ゆるが如きの熱意を以て、人道の爲め決然身を挺して希臘西に航し、金錢に助言に獎勵に鋭意事に當つた、斯くして筆を執るの文人は、一朝にして劍を按ずるの軍人となつたのである、彼はあらゆる辛苦に堪へ、自ら一軍に將としてレバントを攻撃せんとした、あゝ/\されど、皇天此偉人に歳月を借さず、悲哉此絶世の天才は、不幸二豎の犯す處となり、僅か三十六年を一期として、天涯萬里の異域の露と消へて了つた、バイロンは實に人道の爲に斃れたのである、その魂魄や必ず長く、山紫水明なるグリースの邊に彷徨ふであらふ、彼の命日は千八百二十四年四月十九日であつて、その墳墓は英國ニユーステツドの近傍ハツクネルと云ふ處にある。
▲彼の詩に「天は其寵兒に夭死を賜ふ」と云ふ句がある、彼は實に天の寵兒として此濁世より救はれたのである、余は深くバイロンの欝勃たる熱誠や氣概を喜び、その雄渾莊麗な筆致を愛し、その詩集は常に余の身邊を離れないのである、世人は多く彼の蕩逸不覊を非難するけれど、そは彼の罪にあらずして寧ろ其時代の罪である、余は彼の爲なら如何なる辯護もする、如何なる讃美も敢てする、渾圓球上、洋の東西を問はず、古往今來詩人の數多けれど、バイロンの如く廉潔なる男らしい、バイロンの如く勢のある優婉纎彩の詞藻を持つたものは又とあらうか、かの獨乙の大文豪ゲーテさへも、只だバイロンの壯麗なる詩文を味はんが爲めにのみ英語を學んだと云ふではないか。
▲あゝ思へば三十有六年の短き彼の生涯は實に一部の悲哀史である、余は誠に彼の爲めに一滴の涙なきを得ぬ、幼より轗軻不遇に人となり、放蕩無頼なる父に棄てられ、喜怒常ならざる愚昧の母に育てられ、然かも身は悲しい不具の人として嘲けられ、一事一行皆均しく、世人の嘲笑痛罵の種となり、苟も皇室の藩屏たる貴族の榮譽を得ながらも、家庭の樂しさを知らず、一日の平和なく一人の慰むるものなく、終始悶々不平の内に日を送り、果ては住み慣れし故山をさへ離れて、遠く/\絶域に客死したではないか、余は目を閉づれば眉目秀麗なる美しい彼の姿を見ると共に、彼が薄命の生涯を思ひ合して、轉た一種悲しい感じに胸はかき亂れるのである。


ラベル:児玉花外 ゲーテ
posted by 天城麗 at 04:00| Comment(0) | 短編バイロン詩集 | 更新情報をチェックする
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