2007年11月13日

『短編バイロン詩集』バイロンの生涯(1/5)

バイロンの生涯

▲一千七百九十年、放恣なる陸軍の一大尉は、無情にも便なきその妻と、二歳の嬰兒とを龍動の荒野に棄てゝあつたが、その士官の名をジヨン、バイロンと云ひ、妻をカザリン、ゴルドンと云つた、妻は泣く/\跛足の一子と共に己が故郷なるアバージンに行き、僅少の收入に母子の露命を保つたのである。
▲その跛足の嬰兒こそは、實に後日雷名を天下に轟したる大天才、ジヨールヂゴルドン、バイロンなのである、彼は大叔父死歿後、その家名を續いて貴族となり、莊園邸宅の所有者となつた、彼は初めハーローに學び、後ケンブリツヂに入學した、十七才の少年なる彼は、氣質の轉變常ならざる母に養育せられたので、著しく多情多感となると共に常規を脱して放恣となつたが、讀書のみは日夜怠らなかつたのである、彼はあらゆる種類の書籍を愛したのみならず、特に深く東洋史を愛したので、此傾向は彼の主なる詩篇に大なる影響を與へ、何となく東洋風な處が現はれてゐる。
▲彼の容貌の美しさは、恰んど女にしてもみまほしき程であつた、初めて女を戀したのは八才であつて、十二才の時は其從妹に思を惱したのである、マリー、チヤオースに逢つたのは彼の十四才の時であつたが、彼女の冷かなる擧動は、彼の一生に於ける最初の慘苦であつて、かの優婉の詩「ドリーム」の一篇は、彼の少年時代に於ける戀愛の悲しい事實を語つてゐるのである。
▲ケンブリツヂに前後二年の生活中、學生間に親交あるものもあつたが、不覊放逸なる彼は、その友情を長く保つことが出來ず、忽ちにして不和となり疎遠となり、遂に反目に終つて了つた、彼の奇僻は種々あつたが、特に室内に猛犬を飼育して、訪ひ來る人々に誇示した如きは甚だしい一つである、生來負け嫌ひなる彼は、跛足ながらも如何なる運動にも決して他人の下風に立たない、だから彼は在校中ラテンの詩文などよりも、寧ろ、クリツケツトやホツケーやボートレースを愛した、そして巡遊の際は何時も大きな犬を伴れて歩く、その愛犬が死んだ時などは痛切なる碑文を書いた位である。
▲彼が在校中、折にふれ徒然に任せて書いた詩は「閑日月」と題する小册子となつて千八百〇七年即ち彼が廿才の時出版された、エヂンバラ評論は甚だしく之を酷評したので、彼は非常に激怒して「英國詩人と蘇國評論家」と題する一詩を著して、エヂンバラ記者及び其他の詩人を嘲笑罵倒したのである。


posted by 天城麗 at 01:00| Comment(0) | 短編バイロン詩集 | 更新情報をチェックする
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