2007年11月27日

『不信者』27/34

 「神父樣、あなたは平和な生涯を過されて來られた、
  珠數を爪繰りながら日日夜夜祈祷を捧げて、
 若い頃から年寄りになるまでに、誰だつて
  罹らずにはすまない一時の病苦を除いては
 何の心配もなければ、虫一つ殺さないで
 再び罪を犯すなとひとを戒める
 さういふのがあなたの引き當てた籤でした。
 あなたの懺悔者があなたに告白するやうな
 あの奔放な強烈な情熱の狂暴を
 免かれたあなたは有難いこととご自身思し召すでせう。
 その懺悔者の祕れた罪と悲しみの數々は
 あなたの淨い慈愛の胸に納まつてゐるのです。
 私が此世で送つて月日の數は少ないものですが、
 樂しい思ひも隨分しましたが悲しい思ひが多いのです。
 でもいつも戀とか鬪ひとかに時を過して
 人生の退屈を脱れて來たのです。
 友達と盟を結んだり、さうかと思ふと敵に圍まれたりして
 だらけた休息を私は嫌つたのでした。
 もう愛したり惱んだりするものが何にも殘つてはゐず
 希望に或は誇りに意氣の昂がることもなくなつては
 熟つと睨むで考え込んでゐなければならない斷罪を蒙つて
 だらだらと變化のない月日を送るよりも
 その土牢の壁を這ふ恐ろしい毒を持つ
 毒虫になつた方がましだと思ふのです。
 でもやつぱり私の胸の中には休息を得たいと言ふ
 念願が潜んで殘つてゐるのですけれども
 それを休息だと感じたくないのです。
 ぢきにその念願を私の運命が遂げさせてくれるでせう。
 私の行爲はあなたには空怖ろしいものに思はれませうが、
 私がどんな人間だつたか、どうなるのだか、
 夢にも見ないで私は眠るでせう。
 私の思ひ出はとつくに死んでしまつた歡びの墓に過ぎず
 その歡びの破滅が私の希望なのです。
 いつまでも去らない悲しみを擔つて生きてゐるよりも
 歡びと一緒に死んでゐた方がよいのですけれど。
 不斷の痛みの傷に探りをかける劇しい苦痛を
 私の精神は平氣で忍ぶことが出來たのでした。
 むかしの痴人と近頃の惡漢わるものが自分で自分に掘る
 墓穴を私の精神は求めませんでした。
 でも死ぬのが恐ろしかつたのではないのです。
 戀愛の奴隸ではなく、榮譽の奴隸として
 戰場で働くやうに危險に口説かれでもしたら
 それは愉快なことであつたでせう。
 私が危險を冐したのは名譽の誇りの爲ではなかつたのです。
 手に入らうが入るまいが月桂冠など微笑つて見るものなのです。
 名を揚げる爲に或は金儲けをするために
 やりたい人にはやらせるがよいのです。
 ですが戰ひ取つて取り効ひのあるもの──
 愛する女なり、憎む男なり何なりと
 もう一度それが私の眼前に置かれたら、
 碎ける刄の中を渦卷く火焔の中を、通つて
 生かすも殺すも時と場合によりますが
 運命の足跡を私は逐ひ求めることでせう。
 行つて來てゐることをただ爲るだけの人間が言ふ
 此の言葉をあなたは疑ふには及びませぬ。
 死は唯傲慢不遜の人間が敢然と冐すものなのです。
 薄志弱行の徒は辛抱づよく待ち、意氣地なしは無暗に欲しがるのです。
 生命を私はそれを賜はつた神にお返しするのです。
 幸福で得意だつた時分に危險に晒されて
 畏縮ひるまなかつたものが今となつて怯むには及ばないでせう?

  ×  ×  ×  ×  ×
   ×  ×  ×  ×  ×


posted by 天城麗 at 00:00| Comment(0) | 不信者 | 更新情報をチェックする
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