2007年11月12日

『不信者』12/34

 その泉を滿した流れは涸れて
 彼の心を温めた血は流されてゐるのだ。
 そして此處では怒り、悔ひ、興じ悦ぶ
 人間の聲は最早聽かれはしなからう。
 風がはらんで傳へた最後の悲しい響は
 女の狂はしい、いとも悲しい泣き聲だつた。
 その聲が靜寂に消えて、風のさわぐ時
 はたはたと格子窓が鳴るばかり、
 大風が吹かうとも、大雨が降らうとも
 その窓の釦金をかけるものもないであらう。
 砂漠の砂の上の足跡、たとひそれが野蠻人の足跡であらうとも
 同胞にんげんの足跡だと判つたら嬉しからう。
 だから、此處では悲哀の聲そのものであつてすら
 慰安に似た一つの反響を覺ましもしよう――
 少くともその聲は言ふだらう「誰も居ないのではない。
 一人だけでも生命が殘つてゐる」と――
 何故と言ふと、孤獨の立ち入ることを許さない、
 金色に光り輝く室が數々あるし
 丸屋根の内部の腐蝕の進みは遲く
 その痕跡もまだ著しく現はれてはゐないからだ。
 だが門の上には陰氣の影が覆つてゐて、
 乞食だつてそこへ來て待つこともしない。
 遍路の托鉢僧も足を留めないのは
 足をとめて見ても施物を貰へないからだ。
 旅に疲れた他國人も神聖な「麺麭と鹽」を祝福し、主人と
 食卓を共にするために逗留しようともしないのだ。
 富裕とめる貧困まずしきも一樣に注意もしなければ、
 注意もされずにとほつて終はなければならないのだ。
 と云ふのは、禮儀も憐憫もハツサンと共に
 山の斜面で死ぼろびてしまつたからだ。
 人間に取つての隱れ場處だつた、ハツサンの屋敷の屋根も
 荒廢ががつがつと飢えて住む洞窟のやうなものなのだ。
ハツサンの土耳古帽が異教者の軍刀で割られてからは
客人はその邸を逃げ去り、農奴は勞役を脱れてゐるのだ。


posted by 天城麗 at 00:00| Comment(0) | 不信者 | 更新情報をチェックする
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