2008年08月06日

『短編バイロン詩集』36さらば御身安かれ

  第三十六、さらば御身安かれ

  (一)

さらば御身安かれ、これが長への別れならば、
尚ほ長へに、御身安かれ、
たとへ許されぬとても、決して、
我が心情は御身に叛かざるべし、

  (二)

御身は又再び知るを得ざれども、
幾度か御身の頭を横へし此胸は、
寛やかに平和なる睡眠の
御身を襲ふ時、御身の前に現はされたるべし。

  (三)

此胸、御身に瞥見されしならば、
奧底に宿れるあらゆる思想は示されたらん!
然る時御身は、斯くも無情なく拒むことの、
實に宜しからざりしを悟るなるべし。

  (四)

これ故全世界御身を褒むるとも──
たとへ此打撃を一笑に附しさるとも、
若しや他人の悲哀に基するならば、
その讃賞さへ御身を犯すものなり。

  (五)

よしや數多の我が過失我を害するとも、
不治の傷痍を蒙らするには、
嘗て我を抱きたりし腕よりも、
如何で一層有力なる他の武器あらんや。

  (六)

されどあゝされど、御身自ら欺かざれ、
戀愛は漸次に凋落し得るも、
あゝ信ぜざれ、卒然の挫傷には、
げに心情は斯くも破れ斷きるゝぞや。

  (七)

尚ほ御身自身はその生命を保持す──
たとへ血にまみるゝも、尚ほ我が心情は打たざるべからず、
而して死せずに苦しむ思想は──
我等は再び會ひ得ずと云ふにあり。

  (八)

此等は死に於ける哀傷よりも、
一層深き悲しみの言語なり、
我等は生活すべしされど毎朝は
うら淋しき空閨より我等を起すなり。

  (九)

御身は慰藉を得んことを望む時、
我等の嬰兒の初て言葉を發する時、
例令父の注意を彼女棄てざるべからざるも、
御身は彼女に「父上!」と呼ぶを教へんとするや。

  (十)

彼女の小さき手御身を押へるとき、
彼女のいとしき唇、御身の唇に觸るとき、
祈りて御身を祝福すべき彼を思はれよ、
御身の戀愛の祝福されし彼を考へよ。

  (十一)

若しや彼女の顏面おもざしは、
御身の再び見得ざるそれ等に似るならば、
御身の心臟や、尚ほ我に眞實なる
脉搏を以て軟かに震ふなるべし。

  (十二)

あらゆる我が過失は御身恐らくは知る、
あらゆる我が狂亂は何人も知り能はず、
御身に伴ふ、あらゆる我が希望は、
凋殘するも、尚ほ御身と共に歩むなり。

  (十三)

凡ての感情は弱められたりき、
一世界も屈し能はざる、覇氣プライドは、
御身に屈し──御身によりて棄られぬ、
あゝ今や我が精神さへ我を捨てたり。

  (十四)

されどそは終りぬ──あらゆる言語は無益なり──
我よりの言語は尚一層無益なり、
さはれ我等の制し得ざる思想は、
意志なくしてその行道を強ひぬ──

  (十五)

さらば御身安かれ!──斯くも離別して、
あらゆる結合より破れ果て、
胸は焦げて、侘びしく荒れぬ、
あゝ我はこれよりも悲慘には死る能はざるなり。



底本:
国立国会図書館 近代デジタルライブラリー『バイロン詩集』106コマ〜


posted by 天城麗 at 00:00| Comment(0) | 短編バイロン詩集 | 更新情報をチェックする
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