嗚呼此間何事か行られたる。バイロン曰く、『知らず。只神之を知る』と。人間とは此の如きものなるか。人性の組織も見来れば実に脆きものなるかな。道徳の権威、宗教の制裁、其力某して幾何かある、思へば人世は滑稽的のものなる哉。道理は如何に高尚なりと雖、人性組織の脆弱なるを如何にせん。万物必然の下にあり人間の意志亦然らざらんや。故に一旦道徳の道に進むと雖、他の方角に向はざるを得ざらしむる所の事情(心理学者は之を動機と云ふ)来るに於ては、吾人之を如何ともするなし。且つ人の欲情は、其人の健康の状情に関するものにして。虚弱の人は概して欲情少しと雖、血気強盛なる人に在ては、欲情破烈せん計りの勢あり。殊に色情と健康との如きは、密接なる関係を有すとなす。此にバイロン道徳を言はんとする人に、一の注意を與へて曰く、
『人躰に在て健康は愉快なるものにして、之れ真に恋愛の実質なり。健康と遊惰とは、情欲の火焔を熾ならしむる油なり、又た硝薬なり。セレス(健康の神)及びバックス(酒神)無きときは、ヴェヌス(愛の女神)も吾等を攻撃すること能はず。』(フアン一の一六九)
『恋愛も亦吾人身躰の血液の如く、其栄養無きときは生存すること能はざるなり。セレスは食を供し、バックスは酒を注ぎ、或は「シェリー」を與ふ。鶏卵及び蠣等は又た色情的の食物なり』(フアン一の一七〇)
と。食物と情欲との関係此の如し。若し又た気候び[#及び?]温度の点より云ふとも、此等の大に、情欲に関係あるを知るなり。バイロン曰く
『人或は断食し或は祈祷すと雖、肉躰は弱くして精神之を如何ともすること能はず。人間は艶事と称し、諸神は姦淫と称するものは、多く気候の温暖なる国に行はる。』(フアン一の六三)
故に南方温暖の地に生れたる人、及び其れに相当せる熱情的の人と、北方的冷淡なる人物とは、自から其徳義を異にすべし。今ま若し北方的の眼光を以て、南方的の道徳を見るときは、彼れ南方の情態を以て、直に以て不道徳となさん。而して北方的の人は自然に道徳の名称を取ることを得ん。此に於てバイロン嘲弄的に北方人を羨やみて曰く
『道徳的北地の人々は幸なるかな。其處には人皆道徳なるのみ。』(フアン、一の六四)
と。一箇人に於ても亦国民に於ても、気候及び風土等種々の事情に由て人皆な其躰質を異にし、従て又た欲情の張力、及び幸福の理想を異にす。而して其幸福理想は、能く道徳と合躰し、其欲情の張力は、調和適度に生れし人は幸なるかな。
○人性は弱し
○情欲と健康
○酒、鶏卵、及び蠣
○姦淫と気候
○南方道徳と北方道徳