2010年01月01日

バイロン文界の大魔王 第十一章01

 第十一章 快楽主義

サルダナパルスは太古アツシリアの王にして、快楽主義に由りて身を滅ぼし国を滅ぼしたる放蕩王なり。而してバイロン称して『聖王サルダナパルス』と謂ふ。
ドン、ファンは西班牙小説の主人公にして、人の妻に通じ、少女を愛し、女王に愛せられ、交際社会の美人等を操り、一種の人生観を形成し、快楽を尽くしたる者なり。然るにバイロン之を称して『古の我友ドン、ファン』と謂へり。
如何なれば斯くの如き人物は、バイロンの眼には聖人たり、又た彼れの友たるや。曰く、彼等人生の真価の快楽なるを知りて之を実行せるを以てなり。然り快楽は実に人生の真価なり。其他の事物は快楽の方便及び條件たるに過ぎざるなり。サルダナパルス。彼れ勇壮なる大セミラミス女王の孫なり。然るに其挙動全く婦女子の如し。顔には白粉を塗り、唇には紅を点じ、花環を冠し、軽衣を着流し、多くの宮女等に囲繞せられ、種々の音楽を奏せしめ、日夜歓楽宴飲し、毫も祖母セミラミス女王の如き雄大なる気象あることなし。宰相サレメネスの妹は皇后たりと雖、サルダナパルス之を愛せずしてグレシアより獲たる所の妾ミラを愛して其愛に溺る。宰相サレメネス、王が、皇后たる自己の妹を愛せずして、他の女子を愛するは、素より不満足なりと雖、尚ほ妹が皇后たる以上は彼は王の兄なり、又たサルダナパルス、假令放蕩豪侈に流ると雖、尚ほ一国の君主たるなり。『我れはニムロッド及びセミラミスの血統断絶して地に堕ち、一千三百年来の帝国は牧童の話しの如く終らしむ可からず。彼は警醒せしめざる可からず』となし。祖父ニムロッドの大功、及び女王セミラミスの偉業を説きて王を諫むるや、王は是等の諫言は馬耳東風に付し、却て戦争主義に反対し、大王の名を攻撃して曰く、
王『然りセミラミスの印度を征伐したるや事実なり。然りと雖其帰国の状情如何ん。
宰相『男子の如く、英雄の如く帰国せり。假令軍敗れたりと雖其勇気毫も衰ろへず、残す所の親兵二十を以てバクトリアに退きたり。
王『而して印度に残して鷲鳥の餌としたる所の死者の数は幾何ぞや。
宰相『我国の歴史には記載なし。
王『余は云ふ。祖母は多数の兵士を後に残こして、貪鳥、猛禽及び人間─此三者中最も猛悪なるは人間─の食となし、僅に親兵二十を以てバクトリアに遁れ帰へらんよりも、寧ろ王宮に居て二十の衣服を織らんこそ、却て其勝れるに若かざるなりと。此くの如きは果して栄誉なるか。もしこれ真に栄誉ならんには、我れ其不栄誉を擇ぶべし。
宰相『セミラミス女王は假令印度に敗れ玉ひし雖、ペルシア、メヂア、及びバクトリアを其版図に入れて一度之を支配し玉へり。陛下亦之を支配し玉ふを得たりしなり。
王『我れは彼等を支配すと雖、セミラミスは彼等を征服せしなり。
宰相『陛下の君笏を以て彼等を支配し玉ふ前に、必ずセミラミス女王の剣威を要し玉ひしなり』(サルダナパルス一ノ二)
と、人を殺し、国を荒らし、血を流す、これ豈真の栄誉ならんや。此に於てサルダナパルス意へらく若し他国を征服するを好まば、一層有力なる勝利者ありと。



○サルダナパルス大主
○セミラミス大女王とサルダナパルス
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2010年01月02日

バイロン文界の大魔王 第十一章02

論漸く快楽主義に立入れり。曰く、
『我れグレシアの女に聞く、彼国にはバツクスと謂へる神あり、これ我がアッシリアに無き所なり。此神は有力の勝利者にして祖母セミラミスに打勝ちたる所の印度国をも征服したる神なり……酒杯者来れ……我れ新神たる古代の勝利者を礼拝せん。此神とはこれ酒の謂なり。……彼れ全印度を征服せり。然らずや。……卿は血を流す人を以て英雄なりと謂ふか。此の神は葡萄を化して魔法となし悲しむ者を楽しましめ、老いたる者を壮にし、壮き者をはげまし、労れたる者をして其労を忘れしむ…………余は云はん、凡て人は善たれ悪たれ、其極端まで行ひて世を驚かすを真の人となすと』(仝上)
云ひつゝ大杯を傾けたり。然り酒は大征伏者なり。然り、アシシリアに勝ちし所の印度をも征服せり。昔しテオスの聖人アナクレオンも亦酒を讃美し『我心の歓喜せる時、嗚呼王国は何ぞや王冠は何ぞや、若し是等のものにして我足下にあらんには、我之を蹴散らさんのみ』と云へり。酒の貴きこと王冠よりも上にあり。酒神の威力の強きっこと古昔の印度王国よりも大なり。



○神酒バツクス
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2010年01月03日

バイロン文界の大魔王 第十一章03

サルダナパルス此く一意快楽を尽して政治の如きは其顧みざる所たりしなり。人民の怨言漸く起る。宰相サレメネス、王を諫て政治に勉めしむ。サルダナパルス茲に人民を咎めて曰く
『忘恩の奴輩なるかな。彼等の不平を唱ふるは、我が彼等の血を流さゞるに由るか。又は彼等を導きて、数万の骨を沙漠に乾かし、或は彼等の白骨を以てガンガの岸を白くせしめざるに由るか、或は圧制野蛮の法律を以て彼等を束縛せざるに由るか、或は彼等をピラミッドの建築に苦役せず、或はバビロンの城壁を築かしめざるに由るならん』(右)
と。宰相サレメネス曰く『然りと雖是等は彼国民及び君主の凱旋の標にして、或は、歌、或は笛、或は酒宴、或は嬪妾等よりも優れるなり』と。サルダナパルス答へて曰く、
『されども我れ凱旋の標としてタルソス及びアンキアルスの都府を創立せり。然るに勇壮なる我が祖母セミラミスは血を好み、多数の都府を破壊したるのみ』(同)
と。サルダナパルス都府を創し、紀念碑の銘を刻して曰く
『アナシンダラキセスの子なるサルダナパルス王、一日の中にアンキアルス及びタルソスの都府を建てたり。飲み食ひ且つ愛せよ其他は一切指弾すべきのみ』(右)
と。而て曰く
『此等の短句は、能く人事の全歴史を示せるものなり』(右)




○サルダナパルス政治に怠る人民怨む
○『飲み、貪ひ、且つ愛せよ』
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2010年01月04日

バイロン文界の大魔王 第十一章04

宰相サレメネス此る主義を嘲笑して曰く『善良なる道徳なるかな、賢明なる語なるかな王として其臣下に示すに実に適切なる格言なるかな』と。然りと雖サルダナパルスは此等の攻撃に対する十分の哲理を有し、却て夫の戦争栄誉主義を攻撃して曰く、
『若し汝をして紀念碑に銘せしめたらんには、汝必ず此く記さん曰く「サルダナパルスは此處にて敵の五万を殺せり、此等は其墓なり、而て之れ其凱旋標なり」と。されども此かることは戦士に任す。我れ只だ人民の苦痛を少くし、彼等をして苦しむこと無く墓中に滑り込ますることを得ば幸福なりとす』(同)
而して進みて快楽主義の理想とせる黄金時代、或は極楽なるものを云ふて曰く、
『我に向て戦争は名誉に非ず、勝利は栄光に非るなり。我れ我が治世をして人民に嫌はれざらしめ、此の血腥き年代記中、我世代をして太平無事の世たらしめ此年代記の沙漠中翠滴る楽地となし、後代の人民をして、其往時を回想して、サルダナパルスの全盛黄金時代を謳歌せしめんとす。我国を楽園となし、日月の変化を新快楽の時期となし、賤の男女の楽める、其観笑を愛となし、親友の呼吸を真理となし、婦人の唇を我が唯一の報酬となさんと欲す』(同四)
と。従来の歴史は戦争史なり、サルダナパルス之を『快楽史』となさんと企て新快楽を以て一新時期を区分せんと欲す。高尚なる精神と謂つべし古来帝王中、誰かよく之を試みしものぞ。又た古来歴史家にして誰か能く此主義を以て歴史を観たるものぞサルダナパルスは全々快楽主義を行ひたり。
然りと雖其快楽たるや一個人のみに非ず。己を推して人に及ぼし、自己の苦痛を嫌ふと共に他人の苦痛をも嫌へるなり。即ち己の欲せざる所を人に施さべるものに非ずや。曰く、
『我は人に苦痛を與ふるを好まず、又た人より受くることをも好まざるなり』(同上)
と。さればこそ優々快楽を尽くし、残忍なる戦争を好まず、徹頭徹尾快楽主義を取れり。



○戦争栄誉主義を攻撃す
○人民を幸福にせんのみ
○サルダナパルスの黄金時代
○戦争歴史を変じて快楽歴史となさんとす
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2010年01月05日

バイロン文界の大魔王 第十一章05

此に或道徳家は曰く『楽快主義は悪なり、倫理の標準は快楽なる可からず』と。されども之れ小道徳家の言なるのみ。苟も道徳の真価を知り、大人、君子、賢人等の価値及び目的を理会せる者は、決して快楽主義を悪とせざるのみならず、却て人生の目的の此に在ることを知るべし。吾人は問はん、道徳何が故に貴きか、大人何が故に貴きか。吾人答へて云はん、人生の目的は快楽にあり、これ絶対的純粋の善なり。徳義とは止むを得ざる社会必然の條件にして決して人間終局の目的たるべきものに非ず。古來の仁人志士の貴きは果して何の理由ぞや。彼等單に身を殺したるが故に然るか。或は徒に千辛万苦を甞めたるが故に大人なるか。もし果して然りとせば大人志士たるは其苦しみたるにありと謂はざる可からず。又た道徳は、苦しむ爲め、或は死する爲めの方法と謂はざる可からず。嗚呼果して然らば大人の大人たるは、其徒らに苦しみたるに由ると云ふべきか。
彼等真に身を殺して仁を成すは徳義其物の爲めに為せしには非ずして、必ずや人間の為にせんとの心なりしや疑ふ可からず。人間の為めにするとは如何なることを云ふか。これ決して人間の苦痛を増し、或は人類全躰をして身を殺さしむることを目的とせるに非ずして、必ずや人民には快楽幸福利益を得させんが為に尽くすものに外ならざるべし。これ大人の大人たる所以にして、又道徳の道徳たる価値の存する所なり。大人の精神は快楽主義にあるものなり。もし彼等をして人民の幸福の為にするに非ずして、単に徳義其物の爲めに自ら苦みたりとせば、吾人は毫も彼等を尊敬することあらざるべし。何となれば彼等の行為は世に何の益する所もあらざればなり。無益のもの何ぞ之を貴ふに足らん。実に徳義は人生の目的に非ずして、社会を形成するの一種必然の條件なるのみ。徳義は制限的の形式にして、快楽之れが内容たり。人生の幸福利益の爲めに尽力する人こそ、吾人称して真の大人とは云ふなれ。徳義の爲めに徳義を行ふ人は、人間を愛することを目的とせざる人なり、何ぞ尊敬するに足らんや。カントの倫理説は徳義の為めに徳義を為せと説く、これ人生の福趾を目的とせざる者なり。彼れ真正の道徳家に非ず、何ぞ敬するに足らんや。且つカントの倫理説は、誤謬の観念の上に建立せられたるものにして、取るに足るべき所甚少し。凡そ大人たるものは皆な生民の安楽皷腹を目的とする者なり。バイロンのサルダナパルス假令其方法に於ては誤りしと雖、其の精神に至ては否む可からざる大人なり、聖王なり。民を親しみ、幸福ならしめんとするの人なり。而して快楽を以て単に飲食色に限りたるが如きは狭隘なりと雖、人生の目的は快楽にありと云ふ所の根本哲理に至ては、吾人其真理なるに同感の意を表する者なり。其『我国を楽園となし、日月の変化を新快楽の時期となさん』と云ふが如き、其精神何ぞ高尚なる。大道徳家、大宗教家、大政治家の心とすべき所は真に此にありと云ふべし。



○人生の目的は快楽のあり
○大人聖王の尽力は皆人民の幸福の爲めなり
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