2008年06月01日

『泰西名詩選集バイロン詩集』65海賊(抄譯)お前の唄は悲しい

海賊(抄譯)

お前の唄は悲しい

『愛するメドラよ! ほんとにお前の唄は悲しい――』
『あなたの留守中、妾はどうして樂しい歌が謳はれませう?
妾の歌を聞いて下さるあなたはゐられなくとも、
妾の歌はわが思ひ、わが心を洩さずには止みません、
妾のすべての行はこの胸で一つになるのです、
口はつむいでも、妾の心は默つてはゐません。
あゝ! 幾夜も妾は獨り淋しい床の中に横り
嵐を恐れる妾の夢は胸の中に風を起し、
あなたの船の帆に孕むそよ吹く風は
暴風あらしの囁く序曲と思はれ、
風は靜かでも、荒い波の上に浮ばれる
あなたを歎く豫言の挽歌と思はれました。
それでも欺きがちの間諜がもしか火を消してはと
妾は立つて目標めじるし烽火のろしを燃しました。
心もとなく星を眺めてゐるうちに
朝は來ましたが――あなたはまだ遠くにゐます身でした。
おゝ! ほんとに冷い疾風はやてが妾の胸に吹きすさみ
惱んだ妾の眼に夜はわびしく明けました。
妾は幾度も眺めました――けれど待つ船は見えず
妾の涙も、眞心も、また誓ひもあだとなりました。
終に正午ひるとなりました――嬉しいことには一本の帆柱が見えました
船は近づきました――然しあゝ! それは過ぎ去りました!
他の船がまた見えました――あゝ! それはやつとあなたの船でした!
こんなつらい月日をおくるのはいやです! なつかしいコンラードさま!
あなたは平和の喜びを得たくはありませんか?
あなたは確かに富以上のものを得られ
さまよふことも要らぬ輝く團欒の樂しみを持たれます。
妾の恐れることは危險でないとは御承知ですが
あなたが此處にゐまさぬ時は妾はたゞ顫へてゐます。
妾の生命を憂へるのではなく、妾よりもあなたの生命が
愛を離れて、爭ひに衰へられるのを歎くのです――
妾にはあんなに優しいその御心が
自然とその善い意志と戰ひ給ふのはほんとに不思議です!』

『さうだ、ほんとに不思議だ――私の心はよほど前から變つてゐる。
この心は蟲のやうに踏躙ふみにじられ、まむしのやうに復讐せられた。
お前の愛を措いてこの世に他の望みはなく、天の惠の光りもないのだ。
お前は私の無情を責めるが、
お前に對する私の愛は他人を嫌ふようになるのだ、
そこで二人はこゝで固く結び合つて離すことが出來ないのだ。
私がお前を愛さなければすべての人を愛すのだ。
けれどこれを恐れてくれるな――すべての過去の證明は
また行末も私の愛の續くことを證明するから。
けれど――おゝ、メドラよ! お前のやさしい心を力づけてくれ、
今二人はまた訣れるのだ――けれど永い間ではない』

『今訣れるのですか!――妾は前からこのことは知つてゐました。
あゝ妾の幸福な樂しい夢は永久にさめてしまひます。
今――いえ――今は駄目ですよ!
あの船は港に着いたばかりで
伴船ともぶねもまだゐないし、
水夫等も休んで元氣を附けねばなりませんから。
戀しいあなたよ! あなたは私の弱い心を嘲り
今から妾の胸を硬くしようと思つてゐられます。
けれど妾の悲哀を弄ぶことはもはややめて下さいませ
そんな娯樂たのしみは心を傷める外に何の遊びにもなりません。
なつかしいコンラード樣! 靜かにして御馳走を御上り下さい
妾は悦んで御馳走を整へてゐます。
あなたの質素な食事を選んで整へることは大した骨折ではありません!
さあ、妾は一番おいしい果實を採つて來ました。
確かでなく、血迷ふても、好きな所で
一番美しく見えるのはこれだと思ひました。
妾は小山に三度傷ついた足を運んで冷い小川に行きました。
土耳古清涼水シエルベツトは今夜はさぞおいしいでせう。
雪のやうな瓶の中で輝いてゐるのを御覽なさい!
あなたは葡萄の甘い漿液しるはお嫌ひです。
その杯を見るとマホメット教の人よりもお嫌ひになるほどです。
けれどあなたを咎めるのだと思つて下さいますな――
あなたのお好みな他人ひとくやしみは妾の喜ぶことですから。
さあ、食事が整うて銀の灯も輝きました。
濕つぽい*1シロッコの風を氣にしなさいますな。
いまに侍女もそろつて妾と一緒に
をどりを踊り、歌も歌ひませう。
またあなたのお好きな妾のギターは、
あなたを慰めたり、休めたりしますが、
あなたの御耳の障になりますならば
あの*2アリオストーの語りました
*3美しいオリンピアの悲しい戀の物語を致しませう。
誓ひを破つて、その戀人を見棄てた男よりも
また謀叛人の首領かしらよりも惡い人となつて
何故妾を今見棄てようとなさるのでせう――
空晴れて遙か遠くのアリアドニーの島を
あの崖から暫らく妾が指さしてゐたとき
あなたの微笑を妾は見ました。
其時妾は冗談と恐怖で言ひました――
年月は過ぎても、妾を見棄て海原をさして逃げるやうな、
恐ろしい、疑ひの心を妾に起こさせて下さるなと。
それにあなたは妾を欺きました――また歸つて來たのですもの!』

『また、また――否幾度でも――愛するメドラよ!
生命があり、希望があれば私はこゝへ歸るのだ――
けれど今といふ今は
どうしてもお前と訣れなくてはならない。
その理由は今は話しても益はない。
すべてはあの無情な訣れの言葉で終るのだ。
けれど時間が許せばお前に言ひたいことがある――
恐れてくれるな――それは怖ろしい敵ではないが、
不意の襲撃と長い準備の防禦には
いつもよりも警戒しなくてはならぬ、
私は遠く離れてもお前は淋しくはないよ
ばあやや、お前にかしづく娘等がゐるのだから。
今度歸つて逢ふときは安らかに樂しむことが出來るのが
せめてのお前の慰めだ。
さあ! ――角笛が鳴る!――ジュアンが烈しく吹いた――
接吻を――今一度――もう一度――あゝ! さらば!』


(一)地中海を吹き荒む熱風。
(二)イタリーの詩人。
(三)オルランド・フリオーソの中にある。
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2008年06月02日

『泰西名詩選集バイロン詩集』66パリシナ姫(抄譯)

パリシナ姫(抄譯)

媾曵あひびき

  一

の間から
夜告鳥ナイチンゲイルの高い調べが聞え、
戀人等の誓ひの言葉は
さゝやくごとに甘いときだ。
そよふく風と、近くの水の音は
ひとりさびしい耳には樂の調べと響いて來る。
花は輕く露にうるほひ、
空には星が逢引し、
波は紺青こんじやうに、
木の葉は茶色に、
が落ちて
黄昏たそがれは月の光に溶けてうすれゆくとき、
おぼろに朗かな空は
うす闇で、ほのぼのと澄んでゐる。

  二

パリシナが部屋を出たのは
水の落ちる音を聞くのでもなく、
夜の闇の中を歩むのは
み空の光りを仰ぐためでもない。
またエステの四阿あづまやに凭れても
それは咲き亂れた花を見るためでもない、
耳は傾けるが夜告鳥ナイチンゲイルを聽くためでもない、
彼女は戀人のやさしい言葉を聞きたいと待ち焦がれてゐるのだ。
その時茂つたくさむらをわけて忍ぶ足音が聞えると
彼女の頬は蒼ざめ――胸の動悸は高まつた。
さらさらと鳴る葉蔭はかげから囁く聲がすると、
パリシナの頬は眞紅くれなゐにかはり、胸は喘いだ。
いま一刹那で――二人は逢ふのだ――
あゝ今――戀人はパリシナの足下あしもとに跪いてゐる。

  三

時と潮の變りゆくこの世界は
戀する二人には何であらう?
生きとし生けるもの――天も地も――
二人の眼と心には何物でもない。
すべてこれらのものには
死物のやうに見むきもせず
すべてのものは過ぎさつたかのやうに
二人の胸は互ひに呼吸いきを交はしてゐる。
歎息さへも深い喜びに溢れて
とこしへにやむこともなく、
樂しさに狂ふ心は
燃える焔のやうに搖ぐ二人の胸を破るほどだ。
あの胸を騷がす優しい夢の最中もなかには
罪も危險も二人の胸には浮ばない。
あの情熱の力を感じた者ならば、あんな時に
誰が躊躇ためらふたり、恐れたりするだらう?
またあの短い束の間の夢はすぐに破れるものと誰が思ふだらう。
けれど――その瞬間はもうすぎたのだ!
あゝ! あんな樂しい夢は
もはや來ぬことを知らない内に人は眼を覺まさねばならぬ。

  四

罪の快樂のすぎたところを
名殘惜しくいくたびも顧みながら二人は去つた。
また逢ふ夜の望みを懷き、誓ひの言葉を交はしたけれど
それが最期の訣れのやうに二人は嘆き悲んだ。
いくたびも嘆息し――長く抱き合ひ――
脣と脣はとこしへに離れまいと吸つてゐる。
その時パリシナの顏の上には
彼女の罪を赦さぬ恐ろしい天の光りが輝き、
心ありげな星は遙か遠くの空から
彼女の弱い心を見たかのやうに靜かに燦いた――
いくたびも嘆息し、長く抱擁しても
なほ二人の逢引のところは離れ難い。
けれど時は來た、罪を犯した行に必ず附き纒ふ
深い身顫ひに重い心は恐れにみちて
二人は互ひに訣れねばならなくなつた。
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2008年06月03日

『泰西名詩選集バイロン詩集』67サアダナペイラス王(抄譯)すべては女によりて

サアダナペイラス王(抄譯)

すべては女によりて

人の生命の始めすら
女の胸より生れ、
あなたが始めて口にせられた
わづかの言葉も
女の口から教へられ、
あなたが始めてこぼされた涙も
女の手で拭はれました。
生命の終るとき
かつて惠みを施した男は
卑しい看病みまもりの心づかひをさけて
誰ひとり顧みるものもないときに
あなたの傍をはなれずに
苦しい臨終いまはの息をきくのは
女を措いて誰でせう。
――一の二四――
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『泰西名詩選集バイロン詩集』68サアダナペイラス王(抄譯)報酬に紅い脣を

サアダナペイラス王(抄譯)

報酬に紅い脣を

朕は戰爭を光榮とも思はず――
勝利を名譽とも思はない。
  *  *  *  *  *
人の氣に障らぬように世を治め
血腥い歴史の中に
朕の世を平和の時代とし、
沙漠のなかの酷Hるオアシスとし、
後の世の人々をして
サアダナペイラスの黄金時代を想ひ起させて
樂しく謳歌させようと思ふのだ。
わが國を樂土とし、
變りゆく月を
新しい快樂の時期とし、
貧しい男女の喜び聲を愛とし――
友逹の呼吸を眞理とし――
女の紅い脣を
朕に與へられる唯一の報酬むくいとしようと思ふ――
――四の一――
posted by 天城麗 at 01:00| Comment(0) | 泰西名詩選集 | 更新情報をチェックする

2008年06月04日

『泰西名詩選集バイロン詩集』69ベツポー(抄譯)

ベツポー(抄譯)

戀の始終

一瞥ひとめは秋波を送り
秋波は嘆息を吐かせ
嘆息は願望のぞみはら
願望は言葉を生み
言葉は手紙を作り
雁の使マーキユリイの翼に載せられて
すみやかに飛んでゆく。
これは人の知つて踏む道だが
その後どんな不幸が起るか
神ならぬ身には分らない。
戀で二人の若い男女が
一つの足械あしかせにかけられたときには
いやな逢引や、僞りの床や、
駈落や、誓ひの破りや、
心の爭ひが生れる。
――第十六齣――
posted by 天城麗 at 00:00| Comment(0) | 泰西名詩選集 | 更新情報をチェックする
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